ロンドン旅行記②

この旅の終着点であるロンドンで何をするかは、あまり考えていなかった。

何をしようかなーと宿で調べたところ、どこも洒落にならない高さでびっくりする。

せっかくロンドンに来たのなら本初子午線でもジャンプしたいなあと調べたら、グリニッジ天文台への入場料は5000円。そこまで払うほど行きたいわけじゃない。

このときの1ポンドは200円ほど。現地でも物価高が叫ばれるなか、円安をひっさげて日本人が観光しにくる環境では全くない。感覚としてヘルシンキ・パリとはレベルが数段違う気がする。なんだか、日系企業で地道に働く自分の国際競争力の弱さに直面して落ち込んでしまった。

すっかり牙を抜かれた私は、おとなしく入場無料のミュージアムへ行こうと宿を出発した。

ただ、お金をかけなくても旅は楽しい。すれ違う車、建物、犬、ファッション…すべてが目新しい。脳内の引き出しを開け、持っている知識と照合させるともっと楽しい。同時に、今よりも教養があれば旅は更に楽しくなるんだと思う。土地を奪われ何度も移動を余儀なくされたユダヤ人の教えに「唯一奪われないものは教養である」という言葉があるのを思い出した。ただの貧乏旅行中の私とユダヤ人を重ねるのは失礼極まりないが、それでも少しだけ、その教えが実感を伴った。

向かったのは、いずれも国立美術館のテートモダンとテートブリテン。現代美術品を収蔵したテートモダンは、火力発電所を改築したそう。無機質な大ホールに鎮座するルイーズ・ブルジョワの蜘蛛の存在感たるや。収蔵品にロンドンらしさはあまり感じなかったが(ダミアン・ハーストとかたくさん見たかった…)、それでもとても豪華だ。個人的には、ことし3月に閉館したDIC川村記念美術館で別れを惜しんだマーク・ロスコの部屋に再会できて嬉しかった。

テートモダンはテムズ川沿いにある。川面は灰色で淀んでいた。産業革命からの歴史が積み重なっているような汚さだった。

一転してテートブリテンはイギリスらしさ全開。ウィリアム・ターナーをはじめとしたイギリス・ロマン主義やラファエル前派の作品がところ狭しと並んでいる。一番有名なのはミレーのオフィーリアだろうか。そうか、ここはシェイクスピアを誕生させたイギリス。さすがに時代が昔すぎてあまりピンと来ていなかったが、この作品をみて思い出した。

そしてすごく観たかった、ジョン・シンガー・サージェントの「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」。白い花々に囲まれた白いドレスの少女たちが、ぽわんと光る提灯を持っている。幻想的な風景だ。サージェントは、夕暮れ時の光に包まれる数分間を描きとめるため、モデルの少女たちを据え、毎日同じ時間にこの絵を描き続けたそう。絵画には、一瞬の美しい時間を永遠に閉じ込める力がある。作者の心の揺らぎごと。今はもう生きていない少女たちに、心の中で「また会いに来るからね」とつぶやいた。

2つの美術館の間に昼食をとった。友達がお勧めしてくれたNando's!南アフリカを拠点としたチキンチェーン店で、ロンドンではケンタッキーより店舗がある。チキン、なぞの豆とヨーグルトのサラダ、フルーツサイダー……。

………うますぎる!!!なんだこれは!!!!スパイスふんだんのチキンはニンニク生姜レモンなど複雑で豊かな香り。がつんとした辛みと酸味ながらも奥行きのある味わい…。日本には店舗がないのに、こんな美味しいものがあるのを知ってしまった。恋愛ドラマでよく見る「私たち、出会わなければよかったのにね…」ってやつだ。今すぐ転職して、ナンドスを日本に呼び寄せる仕事に就きたい。南アフリカ聖地巡礼もしたい。食に困っていたロンドンで光明を見つけました。

テートブリテンから電車に乗ってノッティングヒルのエリアに移動。ロンドンの地下鉄(チューブ)は世界最古の地下鉄だという。かまぼこのような形で凄く天井が低い!冷暖房も効いていないし電波も通らないし騒音も大きい。歴史はとても感じます。発展が早かった先進国ほど設備が古く不親切なのは、旅で感じるギャップあるあるだ。

冒頭の話に戻るが、旅を楽しむ教養として一番コスパが良いのは、聖地となっている映画を観ることだろう。「ノッティングヒルの恋人」、観ていません。観た人に比べ感動も半減だと思うがパステル色の可愛らしい街並みを歩いた。

途中でイギリスの独立系書店「Daunt Books」にも足を運んだ。ここのトートバッグを持った人をパリでも数人見て、あまりに可愛くロンドンで絶対買おうと思っていました。文庫が20冊は入るであろう大きいバッグを購入!本当に可愛くて買って良かった。

店内には若い女性がたくさんいて活気があり驚いた。そして柚木麻子「BUTTER」が山積みになっている!(英語版のほうが装丁かわいいよね)私はこの本に共鳴した女性は全員仲間だと思っているので、とても嬉しい気持ちになった。

夕ご飯は友達と待ち合わせて中華料理を食べた。牛肉麺とチャーシュー丼。甘い味付けで謎中華だ。たぶん中国のどの地方の味付けでもない。これはロンドンで発展したロンドン中華だなあと思った。味に文句はないが、それぞれ2600円で衝撃を受けた。

それから友達とパブにはしご。本場イギリスのパブ文化を体験できて嬉しい!日本では見たことないビールの銘柄やシードルなど気分があがった。色々な味を楽しみたい身としては、ハーフパイントを選択できるのが助かる。子供もたくさんいてパブは日本のファミレスのようなものだと教わった。

赤いバスの2階に乗って帰路につく。長くなってしまったが、ここまで読んでくださりありがとうございます。

 

ロンドン旅行記①

ケンジントンからサウスケンジントンまで、30分ほど歩いてみる。雨は降っていないのに地面も木々も湿っていて、霧の街という呼び名に頷いた。

街のシンボルである赤い2階建てのバスも発見。6月はじめのロンドンはまだ冷え込んでいて、緯度の高い場所に移動したことを実感する。

初めに訪れたのはロンドン自然史博物館。シロナガスクジラ骨格標本が浮遊するメインホールは、テラコッタの植物文様がかわいい。アーツアンドクラフツのパターンも想起させるようで、イギリスのセンスが全面に現れている。

恐竜展示などわくわくさせるモノばっかり並んでいる。なかでもテンションが上がったのは絶滅種ドードーの復元標本!私がイギリスに持っているイメージは第一に「不思議の国のアリス」(ルイス・キャロル)なので、この場所でドードーを見られることに嬉しくなった。こんなユニークな鳥、インスピレーションの塊だ。

あと印象に残っているのは、地質展示のなかにある阪神淡路大震災の再現室。当時の商店が再現された部屋で揺れを体験できるのだが、この部屋から西欧が持つ日本のイメージが見て取れる。なんというか彼らがいかに、東アジアの国々の違いを理解していないか分かる。AIが生成した東アジアという感じだ。

続いて向かいにあるヴィクトリア・アルバート博物館(V&A博物館)へ。イギリスは博物館・美術館が基本無料なので気楽に入れてありがたい。ここは各国の古美術、工芸、デザインなど多岐にわたる400万点の膨大なコレクションを中心にしたイギリスの国立博物館で、狂気を感じるような蒐集っぷり。博物館というより、その前身の「驚異の部屋」という表現が合っているかもしれない。

ここには世界初の美術館併設カフェがあるといい行ってみた。王立博物館だけあってすごい装飾!座ってるだけでおもてなしを受けている気持ちに。スコーン1個とポットティーで2000円とお高めだが、スコーンは大きいしクロテットクリームとジャムが1瓶ずつ貰えた。クリームとジャムをたっぷりつけるの英国紳士淑女の流儀なんだろうな。スコーンはしっとりでとても美味しく、良い気分になった。

腹ごしらえをして、すぐ近くのロンドン科学博物館に移動。ここ一帯はミュージアムが密接していて、日本でいう上野のよう。自然史博物館、V&Aより知名度は劣るがやはり産業革命の国、凄く良かった。

私は科学博物館というものに、勝手に「技術の発展をアピールする場」というイメージを持っていたが、そのきっかけとなった人間の思い、進歩に伴う倫理的な葛藤も説明されていて心を打たれた。別に私たち人間は、これ以上素晴らしい技術が無くてもそこそこに生きていけるのに、自分が幸せになりたいから、誰かに幸せになってほしいから、まだ見ぬ何かを作り続けている。壮大な装置も計画も、根っこにあるのは人間一人一人の祈りや切望だ。この欲深さと強い執着心が、ヒトと他の生物を分けるものかもしれない。自然史博物館が「ヒトを取り巻く自然の研究」なら、科学博物館は「ヒトそのものの研究」の場のように感じた。

あまりに感動して、人間の成分Tとコンピューターの歴史Tを購入。前者は宇多田ヒカル先生とオソロらしく嬉しいです。

ミュージアム3つを閉館ぎりぎりまで回って夕方5時。今日一日を費やした。生気を吸い取られて頭も身体もへとへとだ。ぎりぎりの体力でスーツケースをケンジントンのホテルからシェパーズブッシュのアパートに移動させた。キッチンが付いていたので、日本から持ってきた乾麺のうどんを茹で、梅干しを乗っけて食べた。今日はとても疲れました。おやすみなさい。

パリ旅行記④(パリ→ロンドン)

パリ最終日の5日目。

鴨好きな友人の希望で、精肉店直営の鴨料理屋に来た。頼んだのは鴨のステーキ、フォアグラとトリュフのラビオリ。オーダーがパワー系、すぎる!友達と旅行すると普段頼まないようなご飯を食べられて良いな。とても美味しかった。

そのまま大型ショッピングモールにあたるウェストフィールドへ。日本でいうイオンやららぽーとのよう。どこか安心感があるがトイレの利用に1ドルかかり、海外だなと思った。あとはパリもヘルシンキもロンドンも、Switch2の広告が沢山あって、任天堂が経済を動かしすぎてることに感動した。

モノプリでお土産を物色した。なんと、パリ→ロンドンは狂牛病対策もあって乳製品の持ち込みが出来ないと発覚。バターをたんまり持ち帰るためにクーラーバッグまで持ってきたのに…、、結構落ち込んだ。お土産で美味しかったのは何と言っても塩。いろいろお試しに買ってみたけど全部美味しかった。

あとですね、職場や友人にバラマキ用のお土産を配りたかったのですが、ヨーロッパで個包装はスタンダードじゃなく苦労しました。個包装のものを見つけたらその場で買った方が良かったと反省。私は結果としてティーバッグになってしまいました(美味しいけど)。。

たくさんお土産を買い込んでカフェへ駆け込んでダラダラおしゃべりした。思えば2人っきりで約4日間も友達と旅行するなんて初めての経験だ。話すことも尽きてきてか、最後の方は政治や国際情勢、ウェルビーイングの話ばかりしてた気がする。普段は気を遣いながら話すようなトピックだが、2人とも疲れててそこまで気が回らず、ただお互い自分の所感を述べる感じになっていた。(最低限のマナーは守りながら)でも、それが意外と悪くなくて、いつものコミュニケーションで必要以上に理解や納得、共感を重視しすぎているのかもと学んだ。

夕方のユーロスターでロンドンに移る。ユーロスターのハブ鉄道駅であるパリ北駅へ。パリの北東の方はすこし治安が悪い。大麻の香りがして、粉の入った袋の受け渡しも目撃した。パリ北駅はこれぞヨーロッパのターミナルという感じ!カルチャーへの素養がなくて上手く例えられないな。ミニチュアの世界みたい!!(しょぼ例え)

パリの観光はここまで。まだまだ行きたかったところもあったけど、取り敢えずは十分。昔、大学院の先生が「人生、やりたいことの3割でもできたら御の字」とぼそっと呟いていたことをよく思い出す。その時は、こんなに輝かしい経歴の先生もそんなふうに思うんだ〜と思っただけだったが、最近は何だかよく分かる。手に入れた3割のものと、手に入れられなかった7割のもので出来ているのが今の自分だなと思える。そう思える時の私の心は凪いでいる。

鉄道駅であっても国境をまたぐので出国審査があった。これが意外と厳しくて、イギリスがブレグジットしたことを実感した。

ユーロスターは機械の問題で2時間も出発が遅れた。ヨーロッパの洗礼だ~と思ってたけど、待っていたヨーロッパの人々も疲れ果てていた。隣にいたおばあちゃまに「crazy...」と話しかけられた。

ロビーでPAULのバゲットを齧りながら出発をぼーっと待つ。PAULは日本にもあるけど、こんなロングなバゲットサンドは見たことない。ブリーチーズが丸々入っていて、ピクルスとハムの組み合わせが美味しかった。やっぱりパリはパン!

やっと乗り込んだ車内は新幹線のようで快適だった。車窓をぼんやり眺めていると牧草ロールや風車が多くて、フランスはのどかな豊穣の国だなあと思った。パリは喧騒の街だったので、次は少し地方にも行ってみたい。南仏やバスクもいいな。カレーから海を越えイギリスのドーバーに突入した時にはもう外は真っ暗に。ネオンすらなくて深海の中を走っているようだった。

22時頃、ロンドンのセントパンクラス駅に着いた。駅ピアノで演奏されていたブリティッシュロックに、国をまたいだ実感が沸いた。浴びせられる言語が英語に変わり、とてもほっとした。英語が得意なわけではないが、フランス語は本当にちんぷんかんぷんだった。

友達と別れ、ケンジントンのホテルへ。ロンドン中心部の住宅は、長屋を切り分けたような様式で面白い。ロンドンのホテル選びはどこも高くて大変だった。1泊目に泊まったここも、高いのにびっくりするくらい小さかった。会社の仮眠室のような簡素さ。

ただ、この部屋で、イギリス出身の女性作家ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』にある「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」という一節を思い出した。ウルフはここケンジントンで育ったという。私は小説家ではないが、いま、自分で稼いだお金で自分ひとりの部屋を持てている。100年前にウルフが残した足跡を辿り、連帯したような気持ちが静かに沸き上がった。

 

 

 

 

パリ旅行記③

パリ4日目

 

シャワーだけでは身体が完璧に回復しなくなってきた。たっぷり寝て起きても、バッテリーは70%くらい。疲れた身体は辛くて酸っぱいものを欲していたが、フランスにはあまりなさそうな味付けだ。

ブランチはマレ地区で。マレ地区は若者のファッション街として有名だが、ユダヤ人街としての側面も持つ。その関連で大学院時代に論文をいくつか読んでいた。そのとき感じたセピア色の街という印象はそのまま。ただ、歩いている若者たちのセンスの良い差し色が、街の風景まで彩っている。

ブラッスリー頼んだのは、サーモンとマンゴーのタルタルや、鴨肉のバナナソース和えなど。ベトナムっぽい味付けがされていて、良い気分転換になった。バケットに添えられた大量のマッシュポテトのクリーミーさたるや…。そしてマリアージュフレールカサブランカ(ミント味の緑茶)が美味しすぎて!旅疲れた身体に清涼感が行き渡った。

Yann Couvreurのクロワッサンを食べながらマレ地区を散歩。抜群に美味しい、、見た目は飴細工のようにツヤツヤ、中はエアリー。バターと小麦の香りが充満した階層の中に住みたい。私が百貨店のバイヤーだったら絶対に日本に呼びます。というか私は百貨店のバイヤーになりたいです。

散歩してノートルダム大聖堂へ。再建したてなのできれい。圧巻だったのはゴシック様式の外壁。使徒の彫像がびっしりと並んでいる。単なる装飾ではなく、教えを伝播するという明確な目的のもとに作られたと思うと、信仰心の持つパワーは凄いなと感じる。京都の三十三間堂を初めてみたときと似た感動かもしれない。

セーヌ川を沿ってルーブル美術館に到着。宮殿を改築しただけあってアップダウンが激しく迷路みたい。天井とか柱とか、作品以外の要素が多すぎる。脳がオーバーヒートを起こした。現在主流の展示空間であるホワイトキューブは批判されることも多いが、あれにはちゃんと理由もメリットもあるのだと感じた。とんでもない名画をスタンプラリー感覚で見てしまったけれど、今思い返しても、あのときの精一杯だったと思う。オーディオガイドが3DSだったことが誇らしかったです。

ショートした私を友達がメゾンカイザーカフェに運んでくれた。感謝。チョコケーキとカフェラテで慌てて糖分とカフェインを摂取。カメラロールを見返すと、この時の写真を全然撮っていなかったが、おしゃれなハトだけ撮ってた。パリはハトまでもおしゃれ。

 

夜は、ホテルのキッチンで料理をした。日本では見ないフラットピーチ、アプリコット、トマト、チーズ…をフランスの美味しいオリーブオイルと塩で食べたり。フランスは牛肉が安いからシャトーブリアンや付け合わせのマッシュルームを焼いたり。赤ワインのボトルを開けて音楽をかけて楽しいパーティーだった。私は旅にこれを求めていると思った。

パリ旅行記②

パリ3日目。

ホテルの近くのパン屋でクロワッサンを買って、セーヌ川のベンチで食べた。有名店ではないのに、すごく美味しくてびっくりした。これが本場フランス。お肉や乳製品が抜群に美味しくて酪農の国だと感じた。

セーヌ川を沿って散歩。開けていて快晴!気分が上がる。やっとパリに馴染んできた気がする。違う国に自分をチューンナップさせるのは時間がかかる。

写真はkodakfz55

向かったのはパリ最古の教会という「サン=ジェルマン=デ=プレ」。歴史は6世紀まで遡れるらしい。分厚い石壁をくぐるとひんやりとしていた。かまぼこ状の天井に描かれた青い星空がかわいい。パリでは珍しいロマネスク様式の建築だという。最近まで「チ。地球の運動について」に激ハマリしてたので、告解室なんかがあってウオーとテンションがあがった。

続いてサン=ピュルシス教会をハシゴ。こちらは17世紀ごろ着工が始まったゴシック様式新古典主義の掛け合わさった建築だそう。さっきの教会より大分絢爛だ。パイプオルガンがすごく立派。「ダヴィンチ・コード」(観てないし読んでない)の舞台だそうで結構人が多い。それでもあちこちでミサや聖書の朗読が行われていて厳かだった。

お昼は近くのパニーニ屋に行った。言い方は悪いが、パリっぽい緊張感や店員に値踏みされてる感がなく、具もお肉・魚・ナッツ・野菜・チーズ…と沢山はいって1000円しないくらいで、おいしくて凄く嬉しかった。たぶん訪日客も割烹料理屋とか行くより、大戸屋に行く方が気楽で良いんじゃないだろうか。そんな感覚になった。

コーヒーを片手に散歩してオルセー美術館へ。駅舎を改築したらしく、メイン展示室は駅のホームのよう。オルセーのコレクションは19~20世紀の西洋美術館に特化している。印象派の有名な絵画を観たいならここ。印象派は、モノを正確に写実しなくて良い、印象に残った箇所を強調して描いて良い画風なので、作者それぞれのフェチがよく分かる。クロード・モネなんかは、花や鳥は執着に近いような描写をするのに、人間の顔には全然力を入れてなくて笑ってしまった。

この旅で、忘れたくないなと思った作品が2つある。1つが、オルセーで観たヴァン・ゴッホの「ローヌ川の星月夜」だ。どこが心に残ったかは長くなってしまうのでこの記事の最後に書こうと思う。再来年に日本に来てくれるらしい、とても楽しみだ。

オルセーの前の広場で、女性が「Chega de Saudade」を歌っていた。ボサノヴァが夕方の開放的な雰囲気とマッチしていたし、好きな曲を海外で聴くと安心する。友達と正面に座り込んで一緒に歌った。

早めの夕ご飯としてビーフシチューとお肉のテリーヌを食べた。ブラッセリーはどこも美味しいが、ブイヨンやコンソメの味が通底してる。日本人にとっての合わせ出汁のようなものだろうか。どのお店でも大量のバケットが必ず付いてきて、ソースを最後まで楽しんでね、そこにこだわりがあるんだからねというメッセージを感じて、いいなと思った。

やっぱりパリに来たらマヌーシュジャズ(ジプシーとスウィングが融合した音楽)が聴きたいよねとなり、ミュージックパブのような所に行った。ギタリストのおじさんのデュオ。マヌーシュだけでなく幅広い選曲だった。このライブでも、ストリートミュージシャンを聴いてても思ったのが、フランスでは原曲が歌モノの曲が愛されているということ。歌が好きな国民性なのだろうか。

20時半〜22時半くらいまでライブを聴いていた。半オープンの店外から、日の落ちていく様子が見えた。日没したのは22時頃。この旅で初めて夜に出会った。

 

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ローヌ川の星月夜」(1888年)は南仏アルルで描かれた作品。同時期の作品は「ひまわり」「夜のカフェテラス」など。アルル期はパリ期の後、ゴーギャンと暮らす直前までを指す。MoMAにある有名な「星月夜」は翌89年、サンレミの精神療養院で描かれた。激しいうねりのある「星月夜」に比べて「ローヌ川〜」の方が写実的だ。

私がこの絵から感じたのは、衝動と情熱、幸福や生命力だ。なんというか、躁のエネルギーに満ちあふれている。絵を描く熱情に身体と心が支配され、燃えているような。

パリから移った先のアルルについて、ゴッホは憧れの理想郷、日本に似た街だと言っている。つまりこの引っ越しはゴッホにとって前向きなものだった。さらに、前年の87年にはパリでゴーギャンと出会い、芸術家村の設立を約束していたという。この絵が描かれたのはゴーギャンと暮らす前。未来への希望もあり、ゴッホにとっては心が高揚する幸福な時期だったのではないか。

私たち観賞者は、その後のゴッホの苦悩を知ってるから、この絵からもゴッホの孤独や寂しさを感じ取ってしまうかもしれないが、それはゴッホに失礼かもなと思った。

この時期にゴッホがテオにあてた手紙には、夜通し星を観察し、その星に深い興味と情熱を持っていたことが記されている。

この絵が描かれた当時の彼は、確かに希望を持っていたのだろう。その時の感情や時間が絵の中に閉じ込められ、眩しいほどに輝いている。水面が光で揺れているのは、ゴッホの目に涙が溜まっていたからかもしれない。あるいは、この絵を観る私が泣きそうだったからだ。

ゴッホの人生はこの後も続くけど、作品は、そのときのゴッホが筆をおいたらその時間ごと永遠になる。私は絵画の、そういうところが好きだと思う。

パリ旅行記①(フィンランド→パリ)

旅の終わりから3ヶ月たったけれど、毎日思い出す。

過去の良い思い出が、それ以降の出来事によって意味を変えることがあるのは、人類共通のことだろう。たとえば、友達との楽しかった思い出が、仲違いによって苦い思い出に変わるなど。

しかし、私が経験した2週間の旅の思い出は、今のところその意味が変わっていない気がする。日常から余りにかけ離れた非現実な旅だったからだろうか。閉じられた宝箱のようなもので、毎日すこし開けては、また鍵をかけている。

一番思い出すのは、フィンランドで泊まったホテルの面する道路。

高揚感と緊張で一杯のなか見たこの景色は、いつまでも私の味方だと思っている。

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パリのシャルルドゴール空港から、高速バスで1時間ほどかけてオペラ座へ。バスの券売機には人がおらず、案内標識もほとんどない。フィンランドとは一転した不親切さにフランスの洗礼を浴びた。

オペラ座があるのはパリ観光地のど真ん中。古くて重厚で迫力のある建物たちに囲まれ、なんの気持ちより恐怖が勝った。歩行者も自転車も車も、ルールなんて無いみたいにスクランブルに進む。狂騒の都、パリ!

まず向かったのは、パリジェンヌ御用達ブランドという「sezane」。madameFIGAROで堀田真由ちゃんが訪問した記事を読み、爆買いしよ~と思っていました。

店内ディスプレイがあまりにも可愛くて!トップスはカラーごとに大きな棚に陳列されていて、店員さんに希望を伝えるとハシゴを使って取ってくれるスタイル。店員さんが優しくてなんとかなったけど、ここでフランス人が話す英語を全く聞き取れないことが分かり大変ショックを受けた。話しているのがフランス語か英語かも分からないほどだ。セザンヌはトップスが1.5万円、カーディガンが2万円ほどと、安くはないけど買えなくもない値段で、デザインもとっっても可愛く、日本に早く来てほしい。

パリジェンヌのお気に入り、セザンヌで堀田真由がショップクルーズ!|Fashion|madameFIGARO.jp(フィガロジャポン)

大きなショッパー2つを抱えて老舗デパートのギャラリー・ラファイエットへ。気温が30度くらいでとにかく涼しい場所で座りたかった。パリの最近の流行りだというハンバーガーを食べた。日本食から発想したらしく、キュウリと味噌が入っていて、もろきゅうだと思った。シリル・リニャックの黒いバニラケーキもホテルで食べる用に購入。ほかの店もゆっくり見たかったが、頑張れなかった。今思うと、パリの街に完全に気圧されていたのだ。

まだ夕方だったが、体力が本当に限界になってしまった。ショッパー2つとスーツケース、ケーキを抱えてなんとかバスに乗ってホテルに辿り着く。中心部は値段が高く、予約したのは16区。ファミリー層が住む団地などがあり、パリの日常的な部分に触れられたのでまあ良い選択肢だったと思う。夕ご飯はヘルシンキで買ったバカでかシナモンロール。おやすみなさい。

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2日目。午後から、ロンドンに住む友達と待ち合わせる予定がある。

午前中はチュイルリー宮殿あたりを散歩してみた。そこら辺の野鳥や、庭の水の色までもおしゃれだ。憎たらしいほど、笑ってしまうほど全てがおしゃれすぎる。日本人がパリへ持つ憧れは、コンプレックスと表裏一体だと思った。園内に移動遊園地が来ていて、子供が多くいた。本当は数年前に出来た美術館、ブルス・ドゥ・コルメス(旧証券所を安藤忠雄がアレンジした)に行きたかったけど改装中で残念…。

写真はkodakfz55

友達と待ち合わせたのはモンマルトルのふもと。映画アメリ(観てない)の舞台となった「カフェ・デ・ドゥ・ムーラン」に行ってみた。やっと食べられたパリらしいもの。オニオンスープ、クレームブリュレ、おいしかった。

モンマルトルはパリで一番標高が高い景勝地。ケーブルカーもあるが階段を汗だくで歩く。19c後半から戦前にかけて多くの芸術家が集った場所で、名画の舞台を巡礼できた。ルノワールの代表作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」のなかにある賑わいや柔らかい木漏れ日は、いまもそのままだった。モンマルトルの頂上にあるサクレ・クール寺院などもおさえつつ回ったが、一番みて楽しかったのは住宅の窓やドアなど。杏のyoutubeで、パリは酷暑でも景観を乱すから室外機を置けないと話題にあがっていたが、確かにこの景観を壊したくない気持ちは分かる。パリの古い街並みを歩いていると、第2次大戦関東大震災が無かった世界線の東京の街を考えずにはいられない。この後訪れたロンドンも合わせて、戦勝国と敗戦国の対比を生々しく感じた。

夜ご飯ではブラッセリーで、ステーキフリッツ、エスカルゴ、サラダをワインと一緒に食べた。2人だと食べられる量がぐっと増える、最高、、。ホテルの近くのスーパーで、気になるジュースや果物を買って、深夜を過ぎても喋っていた。大学時代のくだらないことを懐古して、ここがパリだということを忘れた。

 

 

 

 

2025年前半おいしかったもの

 

鰆と蕗のグラタン CuriousCafe (長野・小布施)

ふらっと入った小布施のカフェに天才料理人がいたので何度か通っている。春に食べたこのグラタンは出色。蕗は玉ごとまるまる、鰆はかたまりでごろっとしていて、全てチーズがまとめている。野菜も、しゃくっとした長いもなど。発想にも出力する才能にも平伏した。

鯛ちらし弁当 和久傳 (京都・伊勢丹

ずっと食べたくて…でも京都はいつも行きたいお店が多すぎて…と逃していたが、急な京都出張でへとへとになったとき、今日しかない!と思って伊勢丹で買った。3500円のお弁当なので軽い気持ちでは買えない。しっかり昆布締めされ水分の抜けたもちもちの鯛ちらし。ほろっとした酢飯。丁寧な仕事とはまさにこのこと、と安いビジホで1人涙を流しました。右のお総菜は季節によって違うらしい。春はシンプルな茹でキャベツなんかが美味しくてもう!季節ごとに食べよう。これ3500円は安いです。

マーブルクッキー 山本道子の店(東京・半蔵門

家に遊びに来てくれた友人が手土産にくれたもの。名舗「村上開新堂」5代目の山本道子さんのお店。うすーいマーブルクッキーは堅焼きでポリっと食感。甘さ控えめだけど味はぼやけておらずソリッドなバターと粉の風味。村上開新堂のクッキーより好きだ。私も手土産にこれを持って行けるような人間になろうと思った。

画像はhanakowebより

秋田料理 あねっちゃ(東京・雑司ヶ谷

会社の友人が懇意にしていて連れて行ってくれた。4000円?程のおまかせで、お母様方が季節の秋田料理を沢山出してくれる。こまいの塩焼き、ぱつぱつで美味しかった…。締めはきりたんぽからの稲庭うどんで、お腹がはちきれるかと思う幸せ体験だった。おもてなしもとても暖かくて絶対また行こうと思う。

蕪のアイス Jiu (東京・門前仲町

「渡辺料理店」に行くという今年の目標はまだ叶っていない。だが、薪火料理に特化した姉妹店には訪問できました。コースの口直しとして出てきたアイスは、燻製の香りをまとった蕪のミルク塩アイス。アイスなのに蕪のほっくり感まで伝わる味。下に敷かれたソースは、蕪の茎のもの。鮮やかな青緑!おばあちゃんが作る蕪の浅漬けのデザート版みたいだ。

まるかじゅり アヲハタ (ファミリーマート

瓶ジャムメーカー「アヲハタ」が手がけた冷凍フルーツ。店頭はファミマだけ? アイス棚に陳列されているが、あくまで冷凍フルーツ。凍らせたフルーツジャムをそのまま食べているようで、果実の苦みや青み、繊維感もある。大阪を歩いているとき、あまりに暑くて寄ったファミマで見つけて、この世に足りないものはこれだったー!と感動した。それ以来、好きな食べ物というよりか、夏の救命グッズの1つになっている。

カレー ブラウンオニオンカレーファクトリー (東京・西高島平)

今年前半がんばったこと、運転免許の取得。最寄り駅に飲食店は少なかったが、評価の高いカレー屋があり30分くらい並んだ。インドのスパイスカレーが基礎なんだろうけど、日本のお米に合うカレー。ジャンルが謎。メニューには「南インドミールスを日本式に解釈した」とあって、あ~確かにと思った。フレッシュ野菜のアチャールがもりもり乗っていて最高。食後はお腹いっぱい、でも発汗とスパイスのおかげでスッキリ清涼感もある、良いランチだった。(心の井之頭五郎

沖縄そば 楚辺 (沖縄・那覇

沖縄そばが好きだ。といっても初めてちゃんと食べたのは社会人になってからだと思う。遅いデビューだが、この年になって、根本から知らない日本の料理に出会えるのが嬉しかった。沖縄料理だとお豆腐も好き。ゆし豆腐とヨモギをトッピングで選んだ。ほろほろで胃を優しくすべるゆし豆腐と対象に、今庭で摘んできたような主張の激しいヨモギコントラストに旅情を感じた。

Bean to Barチョコレート タイムレスチョコレート (沖縄・北谷/那覇

沖縄発のチョコレート専門店。自家焙煎のカカオ豆と沖縄の砂糖のみで作ったというチョコは、口溶けなめらかではなく、どちらかといえばジャリッとしてる。ちょっと美味しすぎる。私の人生チョコだ。板チョコは一枚千円ほど。千円で買える薬だこれは。お土産にも良いと思うけど、私は1人で全部食べました。本店は北谷。那覇市内だとセレクトショップ「TESIO」で買えます。TESIOに併設されているシャルキュトリーもまじで美味しかった。おすすめです。伝統的な沖縄料理を食べるのも良いけど、若いクリエイターが手がける沖縄の新定番ももっと知りたいなと思う。

画像は伊勢丹web