言葉にすること、文章におこすことが苦手なので、克服するために日記をはじめました。
好きだと思ったものや感性に触れたものについて、言葉で説明できないことがあまりにも多いのです。
苦手意識が強すぎて、ページを作ってから文章を書くまで半月もかかってしまいました。
らちがあかないので、気軽な気持ちでやっていきたいと思います。
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6月4日、天安門事件から30年が経ちました。
中国出張中の父から天安門広場の写真が届く。
日本人でもほとんどの人が知っているのに、若い中国人のほとんどは天安門事件について知らないそうなのです。中国共産党のおそろしい情報統制がうかがえます。
3月に北京に訪れたのですが、インターネット規制は異常だと感じました。
LINE、Instagram、YouTubeが使えないことだけでもストレスに感じるのに、観光情報についての日本語サイトもまず使えない。おまけに国民大会の最中だったため金盾がいつもより強力でネットはほぼ使えない状況でした。そんな状況が当然のように受容されてることが信じられません。しかし、このような徹底した情報統制のなか、天安門事件から30年で中国が大きく経済発展したこともまた事実です。
上海浦東地区20年間の発展(1990−2010)
話はそれましたが、天安門事件を引き合いに出して語られるのが今月香港で起きたデモです。
今回のデモのきっかけとなった逃亡犯条例について、これが適用されると今までの一国二制度が崩れ、中国共産党の支配力が強まることになります。
3月北京を訪れたあと香港にもいきましたが、この二つの土地は全く違う様相であるように感じました。
私がその時感じたことは結局は共産主義と資本主義の違いに帰結するのかもしれませんが、なんとなく香港には、思考の隙間があるように思えるのです。
上海も北京も美しく魅力的な街です。しかしどこか国全体に隙間なく包まれているような窮屈さがありました。
行政施設、文化施設、道路、公園、お店、人…全てがパズルのピースのようにぴったりとはまっているように思えるのです。実際どうかはわからないけれど、同じ意思を持ち同じ方向を向き、ひとつの法則にのって存在している風にさえ見えてきます。
比べて香港は限りなくバラバラでごちゃごちゃした街でした。よく香港を表する言葉“おもちゃ箱をひっくり返したような“の通りです。
建物ひとつひとつが独立した意思を持ち、街を歩くたびに違う表情が現れる香港は、中華的な表象を持ちながら、根底に流れるものが中国と全く異なるのです。
沢木耕太郎が『深夜特急』の中で立ち寄り、その街の熱気と喧騒に酔い痴れ、財を投げ売ってなお長居した魅力は中国には無いものです。
思考のピースが不揃いであるがゆえに生まれる隙間こそが香港らしさだと思えます。
チムサーチョイ(重慶大厦付近)
今回取り上げられてる逃亡犯条例が適用されると、中国に批判的な思想を持つ人が中国当局に取り締まられる可能性が生まれます。私が思う香港らしさである思考の隙間が、中国により埋められてしまうように感じます。
急激に経済発展をしている香港ですが、その資本主義が期限付きのものであり、線引きの曖昧な一国二制度を採用している以上、今後体制の変化は絶対に免れないと予想されます。
根本を中国と異にする香港が今後どのように自らを守り、再構築していくのでしょうか。
中国南部の大きな経済都市である香港を簡単に中国が手放すとは到底思えません。天安門事件のように武力行使を厭わない共産党がどのような手段を使い自らの権力下におくのか、想像を超える出来事が起こるようにさえ思います。
リアルタイムで起きる世界規模の大きな転換を、天安門事件の頃から変化したメディアを通して、自分の目で追っていきたいです。