忘れっぽい

insta → wkegg3 / twitter → wk_engg

『ひとはなぜ戦争をするのか』感想・「戦争と文化」

ひとはなぜ戦争をするのか(講談社学術文庫 2016年刊行)

著:A・アインシュタイン/S・フロイト

  養老孟子斎藤環

訳:浅見省吾

 

いま人がこの本を手に取るきっかけとなるのは、おそらくロシアによるウクライナ侵攻だろう。戦争は、かたちを変えながら絶えることなく世界に存在し続けている。

 

本書では、ユダヤ系の流れをひきながら第一次・二次大戦のヨーロッパを生きた、アインシュタインフロイトが、

そして、北朝鮮の軍事行為やイスラムのテロ、イランイラク戦争を見つめる養老孟司斎藤環がそれぞれ「戦争」をテーマに文章を筆をとっている。

今なお無くならない戦争を、時代をまたいだ4人の巨匠はどのように分析するのだろうか。

 

本書の第一部は、第一次世界大戦と二次大戦のはざまである1932年に、

物理学者アインシュタインと心理学者フロイトが送りあった往復書簡。

きっかけは、国際連盟アインシュタインに「好きな相手を選んで、好きなテーマで意見を交わす」よう依頼したもの。

アインシュタインが文通相手に選んだフロイトへ投げかけたのは、

「ひとはなぜ戦争をするのか?人間を戦争というくびきから解き放つために、いま何ができるのか?」というテーマだった。

このテーマで各分野の大家である2人が論を交わすのが第一部である。

そして、第二部は、一部の往復書簡に返答する形で執筆された、解剖学者・養老孟司精神科医斎藤環の論考で構成される。

 

第一章は、発刊元である講談社の『現代ビジネス』(https://gendai.media/articles/-/94347)で詳しく解説されているので、そちらに託したい。

 

ここで私が取り上げたいのは、20世紀前半の欧州を生きた2人の往復書簡から、おそらく80年ほど後に書かれた、養老・斎藤の論考から見出せる「希望と絶望」である。80年をまたぎ、世界は確実に「戦争」への解析度をあげている。しかし同時に「戦争」は消滅していない。その希望と絶望である。

 

アインシュタインおよびフロイトの書簡では、まだ発足して間もない「国際連盟」という国を超えた組織に希望を抱きつつも、なお無くならないであろう人間の暴力的欲求を考察するものであった。

 

そしてそれを受け取った養老と斎藤の論考は、第二次世界大戦を顧みるとともに同時代を見つめたものであって、アインシュタインたちの書簡よりも「戦争」に対する解析度が段違いに高いのだ。往復書簡に書かれた抽象的で古典的な分析を、具体的で同時代的に置き換え、より進んだ考察を行っていると断言できよう。現代を生きる2人が、数多のかたちの戦争をどう鮮やかに捉えているかは是非本書を読んでいただきたいところだ。

兎にも角にも、歳月や経験、そして研究の積み重ねが人間の思考を進化・熟成させるのだと間違いなく確信できる。

 

フロイトアインシュタインへの返答のなかで最後に記したのは、「人間が文化的になっていくこと」への希望である。

「文化が生み出すもっとも顕著な現象は二つです。一つは知性を強めること。力が増した知性は欲望をコントロールしはじめます。二つ目は、攻撃本能を内に向けること。文化の発展が人間にこうした心のあり方ーーこれほど、戦争というものと対立するものはほかにありません。(略)文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!」(pp.54-55)



フロイトの時代から文化的に発展してきた現代、そしてその発展を牽引してきた養老と斎藤の鮮やかな論考からは、戦争の終焉に人間が歩みだしていることが見て取れる。フロイトの最後の予言は確かに当たっているのである。

以下に斎藤の「戦争の終焉を推し進める文化」についての見解を引用する。

 

「文化とは(略)人間の価値観を規定するものです。逆に、価値観を文化として洗練していけば、あらゆる価値の起源として『生きてそこにいる個人』にゆきあたるはずです。つまり文化の目的とは、常に個人主義の擁護なのです。そうなると、いかなる場合にも優先されるべき価値として、『自由』『権利』『尊厳』が必然的に導かれるでしょう」(p.110)

 

この珠玉の文言は、フロイトの言う文化の現象「知性を強めること」の効果を具体的に記しているものである。

「戦争」は間違いなく『自由』『権利』『尊厳』を個人から剥奪するものである。

そんな「戦争」に反するものが「文化」であり、終焉に導くものこそが「文化の発展」なのだ。

 

私は、80年を経て提示されたこの答えこそが、「文化の発展」を象徴しているように思う。20世紀を代表する偉大な2人の学者と現代を代表する2人の日本人を繋いだ歳月が、介在する沢山の人々が、文化を発展させ・戦争を終焉へと導いているのではないだろうか。

この気づきが本書における「希望」である。

 

しかし、今現在、21世紀最大とも言われる戦争が行われている。

その戦争は終焉の兆しさえ見せていない。

この点に、「文化の発展が戦争を終わらせる」と結論づけた本書の「絶望」が見出される。

やはり、戦争が勃発し人が多く犠牲になるそのスピードと比較して、文化の発展というのはあまりに遅い。

弾道ミサイルが耕土を灰塵に帰す一方で、文化ができるのは一杯ずつの雪かきなのだろうと身につまされる。(これは村上春樹が言うところの「文化的雪かき」、だ。)*1

この絶望的な差について、本書では詳しく触れられていない。

それは、4人が文章を書いたどの時期にも、当事者的な戦争がオンタイムで行われていなかったのが原因にあるかもしれない。

ただ、今読んでいる私たち読者にとっては「文化の発展」を悠長に待つ余裕などないのだ。

 

フロイトが言うに、文化は人間を「ほとんど気づかないかもしれないが」肉体レベルで、有機的レベルで変化させる。

その変化が戦争を追い越し、先回りして勃発を食い止めることができるのだろうか。

「人間を戦争というくびきから解き放つために、いま何ができるのか?」

それを思考せねばいけないのは、文化の発展を促進しなければならないのは、

フロイトアインシュタイン養老孟司斎藤環から手紙を渡された私たちなのであろう。その返答はあまりに難しい。

*1:坂元裕二の「耳かき一杯」も思い出しますね