忘れっぽい

insta → wkegg3 / twitter → wk_engg

卒業論文後記

 

こんにちは、そろそろ卒業論文の口頭試問の準備をしないといけません。

卒論を書いたのが一ヶ月以上前なので何となく思考の感触を思い出さなきゃなーと思って、そのために少し文章を書きます。

このエントリーをもとにスライド作れたらめっちゃ楽そうという動機でもあります。

 

卒論はあくまで作品や先行研究、作家の著書やインタビューをもとに書いたものなので、ここでは自分の関心の所在と絡めて卒論について書こうと思います。

 

 

「クリスチャン・ボルタンスキー研究 <アニミタス>シリーズについての一考察」という題のもと、ボルタンスキーが2014年に始めたプロジェクト<アニミタス>に至るまでの変遷とこの作品の表すものについて考察していきました。

 

<アニミタス>とは、辺境の大地に風鈴のついた細長い棒を大量に突き刺し、それが揺れる様子を10時間以上動画に納めた作品です。同様の形態の作品が4つ存在することから、シリーズという言葉を使っています。

 

f:id:wk_eng3:20200119030203j:imageアニミタス・チリf:id:wk_eng3:20200119030304j:imageアニミタス・ささやきの森(香川県豊島)

f:id:wk_eng3:20200119030341j:imageアニミタス・白(カナダ・ケベックf:id:wk_eng3:20200119030413j:imageアニミタス・死せる母たち(イスラエル死海

 

この作品の内容や本論で考察した内容は後回しにして、自分が何故この作品を題材に選んだか経緯をまず書いてみたいです。

 

①大学3年のとき奈良に仏教美術研修旅行に行ったこと

昔から寺社仏閣や教会、宗教美術品(この言い方は是なのか?)が好きでした。この世のものとは思えない絢爛な教会も、対峙したとき言語化出来ない静謐さをもつ仏像も、全ては作り手の信仰心から生まれたものです。そう思うと人間が持つ「祈り」というエネルギーの底知れなさは敬畏に値します。

奈良では600年代に建造された法隆寺から始まって、古くより伝わる沢山の仏教美術を見ました。

素晴らしいものをたくさん観て、私は本当に心打たれっぱなしだったのですが、同時に、自分が無宗教であるが故に、当時の仏教徒が抱いた仏像への気持ちと根底で共鳴出来ないことが悔しかったのです。これほどまでに感動しても、その感情のなかに「祈り」や「帰依」が無い限り、その場で自分は部外者のように感じました。

しかし現代を生きる我々にとっても「死後の生」や「人外のものへの祈り」は、宗教を持つ持たないを問わず、なんとなく概念として持ち合わせているように思います。お盆に先祖をお迎えするだとか、死んだ人は星になるとか、伊勢神宮は30年に一回取り壊して古材は引き継がれるとか、具体的な宗教教義を意識せずとも疑問を持たず受け入れていますよね。

そういった意味で、特定の宗教には依らない、現代人に共鳴する「一種宗教的な思想」を反映した芸術品について興味を持つようになりました。

 

 ②2018年森美術館に「カタストロフ展」を観に行ったこと

カタストロフ(大惨事)をテーマに、様々な現代アーティストの作品を集めた展覧会がありました。

カタストロフと一概に言っても作品によってその規模はそれぞれでした。東日本大震災アメリ同時多発テロなど世界的に有名なものから、作者自身の子供時代の絶望など個人的なものまで。今の時代そういった悲劇的なニュースは、客観性を重んじるマスメディアから情報を得ることができます。しかしアートという極めて私的な視点が入ったメディアは、私たちに当事者的な感情を与えます。ある出来事に対して、事実のドキュメントではなく、現代アート(曖昧な括りの言葉ですが)の手法を取って人々に発信すること、その力について知りました。単なる視的快感で評価されない現代アートは、鑑賞が難しく取っ付きにくいものだと思われることが多いけど、一つのメディアだと捉えてみると新しい観え方が生まれるのではないでしょうか。

現代アートのコンセプチュアルな部分(知的遊戯な感じ)ばかり一般的に認識されているように思いますが、エモーショナルに訴える作品が多くあり、しかもそれは今の時代の我々に響くものなのです。

 

第一次世界大戦以後の歴史と哲学の変遷に興味があった。

高校生のときから世界史の勉強が好きで、そのなかで一番関心があったのが第一次世界大戦以降の歴史でした。

このくらいの現代史となると、当時の出来事が他人事じゃない気がしてきます。

二度の戦争を通して科学は猛スピードで発達し、今の私たちの生活と繋がるような技術や経済的仕組みが誕生します。皮肉なことですが、軍需を生む戦争は、科学を発達させるのに大きな影響力を持つのです。

第一次世界大戦では初めて、大型戦闘機や毒ガスが実用化されました。人以外の物が大量の人間を一瞬で殺すことが可能になったことを意味します。

この衝撃は、兵士に精神的な打撃を与えました。戦闘ストレス反応や、帰ってきた兵士の精神病が認知されるようになったのは第一次世界対戦からです。

第二次世界対戦では、ホロコーストユダヤ人がその血統の理由のみで虐殺されました。日本では、若い日本男児であるという理由だけで戦争に赴き死ぬことが名誉であるとされました。そして長崎と広島の原爆。

WWⅡ以外でも、カンボジアでのポル・ポト政権による大虐殺や、ピノチェト独裁政権の大虐殺、ウガンダ内戦の大量死など、自らを形成する肩書のうちのひとつが原因で、理不尽に命を落とした人がたくさんいます。

人々の生活を豊かにする喜ばしい科学の発展と、あまりに不合理で納得の行かない大量の死が、同時に誕生した時代なのです。このあまりに乖離した2つの性質を持つ時代に生きた人々について考えることが多くあるのです。

この時代の人々は自らのことを、「一個人としての主体」と捉えることはできたのでしょうか。「ワタシはワタシだよね」みたいなことは言えたのでしょうか。

毒ガスや大型戦闘機で、非人道的にまとめてあっけなく殺される、誰の記憶にも残らない死の概念が誕生しました。考えたくもないですが、恐らく遺体は個人を把握出来ないレベルに破損し、兵士が戦った記憶を語る跡すら残さないでしょう。

民族で括られその理由だけで虐殺を行うことは、人間を外側から構築する要素しか見ていないことを意味します。ある人物がどんな思想を抱いていようが、ユダヤ人という肩書だけで殺されるのです。そんな状況下で自らを「個として成り立つ主体」と捉えることが出来るとは思えないのです。自分がどうであれ、自分が属する共同体が生死の運命を握ることが当たり前だったことが本当に恐ろしい。

第一次世界大戦からの世界の変化は「個はあっけなく、主体として成立し得ない」という思想を生み出したように思います。

じゃあ第二次世界大戦から75年経った今はどうなの?どう変わったの?という疑問も生まれます。難しい話ですが…。

あまりに現代に結びつく、そう遠くない歴史を学ばなければならないような気がするのです。

 

 

クリスチャン・ボルタンスキーは1944年にうまれ現在も活躍しているアーティストであること。

ユダヤ系の血を汲んでいることからホロコーストをテーマにした作品が多くあること。

キャリアの初期から一貫して生死について扱っていること。

そのなかで<アニミタス>は最新作であること。

 

ビジュアル的に<アニミタス>が好きなことも勿論ありますが、これらのきっかけと理由でこの作品を扱おうと決めました。

 

ここまであまりにセンシティブな内容になってしまったので、一旦区切ります。

ただ、人の死や悲惨な出来事について、縁起が悪いだとか不謹慎だという理由で語るのをやめることは、個人的には好きな考えではありません。

これらは日常と隣り合わせのものであり、身近なものです。

美術だけでなく、音楽も文学も、こういったテーマをわざと回避するようになったら、すごく一面的なものになってしまうと思います。

例えば、印象派の絵が美しいのは、画家が風景に心象をうつした一瞬の出来事を切り取ったものだからではないでしょうか。

風景も感情も変化するものであるため、印象画で描かれた風景は、次の瞬間には消滅してしまうものです。

この死があるから、対照的に印象画にある風景の活きいきとした生が浮き彫りになり、私たちを感動させるのだと思います。

f:id:wk_eng3:20200119044801j:imageモネ 印象・日の出

 

ちょっと話がそれちゃったのですが今日はここまで!

 

 

追記

修論も延長線で書こうと思うのですぐに続きを書くのをやめました。