忘れっぽい

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読売新聞「美術館女子」

 

かなり前の話であるが、以前話題になった「美術館女子」の企画について少しだけ。

6月上旬に話題になった企画であるが、当時はあまりに嫌な気持ちになって冷静な気持ちでは向き合えなかった。

 

本企画は読売新聞と美術館連絡協議会の共同企画で、

「読売新聞で『月刊チーム8』を連載中のAKB48 チーム8のメンバーが各地の美術館を訪れ、写真を通じて、アートの力を発信していく」(公式サイトより)

というもの。その第1弾では、小栗有以が東京都現代美術館を訪れる様子を画像メインで伝えている。

(現在は大きな批判に晒され公開が終了している。)

 

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なぜこの記事が大きな批判を呼んだのか。

様々な観点から議論が交わされた本記事であるが、その中で2点を取り上げて自分なりの意見を記したい。

 

①美術館は「映え」の場所ではないという批判について。

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本記事は、小栗有以を主体とし美術作品を背景にした写真が何枚も載っている。

美術作品のピントはぼかされ、あくまで写真の主役は美術館に訪れた小栗さんである。

これに関して、「美術館は映えの場所でない」「美術作品は自分を映えさせるものではない。」という批判が生まれた。

もちろん、「映える美術作品を撮る」というのは美術鑑賞の第一義ではないだろう。

しかし、それが目的で美術館に訪れる人々を、どうして批判することができようか。

多様な美術鑑賞のあり方を批判することは、美術館のあり方を狭めているように思うし、

美術館側も散々「美術品と一緒に写真に撮ってインスタに載せよう」という企画を打ち出しているのだから、今更映えのための美術利用を批判するのもおかしい。

 

マルセル・デュシャンの研究者である平芳幸浩先生は、フェイスブックで「美術館女子」に集まる上記の批判について、以下のように意見していた。

(一部抜粋)

 

…「文化は無条件に尊重され守られねばならない」という理想論と「文化は無条件に尊重され守られるはずだ」という希望的観測とは切り離して考えなければな         らない。文化が無条件に尊重され守られてきたためしがないことは歴史が証明している。それ故に理想論は信念として主張され続けなければならないと思うが、現実的運用に対する戦略がないと理想論はいとも簡単に潰されていくであろう。…

 

日本において、口先では文化が大事だと言いながら、文化保護や文化推進に十分に力を入れていないのは、このパンデミックでも明らかになったことだろう。

文化政策について知識があまりないので、はっきりとは言えない。もっと勉強したい分野。)

平芳先生が言うように、「文化は尊重され守られるべき」という理想論を掲げながらも、それを実現する現実的運用から目を背けてしまえば美術館に未来はない。私たちが予想する以上に、美術館運営はシビアである。美術鑑賞の意味を狭義に閉じ込める意見は、美術館をつぶすことに繋がってしまうのではないか。

 

 

②女子に「無知の観客」の役割を担わせているという批判について。

私が言いたいことはまさにこれである。本当に嫌な気持ちになった…。

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画像内にあるこの文章が問題である。

「知識がないとか、そんなことは全然、関係なし。見た瞬間の『わっ!!』っていう感動。それが全てだった。」

私は、感動を否定するつもりも、知識がない人が美術館に訪れることを否定するつもりももちろんない。

 

問題は、無知であることの肯定を若い女性(しかもアイドル)の発言として文章にしていることにある。

無知の象徴を若くて可愛い女性に担わせた、読売新聞と美連協の大人たちの思考の浅さに驚いた。

 

「知る」ということは、不条理な支配に抵抗するにあたって非常に重要な手段だ。

我々を支配する側の人間にとって、我々が正しい知識を得ることは好ましくない。

メディアの偏重報道も情報操作も、私たちを都合よく扱うために行われている。

中国の情報統制も、アメリカの地域や人種による情報格差もそうである。

 

「知る」ことが自分の未来を守る手段である現在、「大きなメディアが女性を使って無知を肯定すること」が許されて良いのだろうか。

今回の企画の舞台になった東京都現代美術館は、主に近現代美術を扱う。現代の諸問題を投影した作品もとても多い。

感動からもう一歩踏み込んで、それら諸問題を作品を通して知れるような体験を提案して欲しかった。

 

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記事に掲載されていた、草間彌生の作品《死の海を行く》を背景にした小栗さんの写真。

船のオブジェを形成する大量のソフトスカルプチュアは、男根を表象している。

男性への恐怖や性への嫌悪を持っていた草間は、恐怖の対象となるフォルムを作りつづけることによって、恐怖の感情を抑えていったという。

もし小栗さんがこの作品の経緯を知っていたら、笑顔で写真に応じることは出来ただろうか。

この作品の意味を知っている人が現場に1人でもいたら止めるべきだったであろうし、知らないのならば作品を軽く取り扱うべきではない。

アイドルという職業は、性的搾取の対象という側面も併せ持つ。アイドルにとって一部の男性ファンは、間違いなく恐怖の対象であろう。

男根の表象物を背景に笑顔を作る女性アイドルの写真からは、小栗さんを無知のままにさせ都合の良いように扱う企画者の姿が見える。

 

 

 

この企画が世間に出る前に、問題点を指摘し改善を試みようとする人はいなかったのだろうか。

読売新聞のような大きなメディアがどうしてこんなに考えの足りない行為をするのだろうか。

携わった人全員が製作段階で違和感を覚えなかったのだとしたら、感覚が麻痺し、アップデートすることを怠る堕落した人たちばかりだと思う。

 

読売新聞も美連協も現在、美術館が存続するために大切なプレイヤーであることは間違いない。(出資元的にも・運営的にも)

今回の批判に向き合うことで、組織が少しでもよくなるきっかけになることを願う。