忘れっぽい

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ドイグ・オラファー・古典現代

 

最近(主に6月~)行った美術館について簡単に(雑に)感想を残す。

 

 

・ピーター・ドイグ展@国立近代美術館

1959年スコットランド生まれ。現在最も重要な画家ドイグの日本初個展である。

ドイグの作品には、映画や写真など様々なイメージが引用されている。

これら複数のイメージをドイグは、非常に私的な視線でモンタージュしているようだ。

この「複数のイメージのモンタージュ」によって、私たち鑑賞者は不思議と夢想的な既視感を覚える。

過去に聴いた音楽や観た映画、そして自分自身の記憶が、ドイグの作品によって不思議と蘇った。

意外と、純粋な感性だけで絵画と自分が呼応する体験って少ない気がする。

f:id:wk_eng3:20200809020207j:image《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》2000-02年

ドイグ展の企画者・主任研究員は、大尊敬している早稲田の桝田倫広先生。

たくさんの人に観て欲しい…。心動かされる素敵な展覧会でした。

 

オラファー・エリアソン展 sometimes the river is the bridge@東京都現代美術館

1967年デンマークコペンハーゲン生まれのアイスランドの芸術家。

2003年にロンドンのテート・モダンの室内に巨大な人工太陽を設置した「Weather Project」が代表作であり、

自然現象の興味を投影した作品を多く制作している。

個人的な感想としては、オラファーが自然に寄せる関心については提示できているが、

ホワイトキューブに押し込まれた作品群はいささか本分を発揮できないように思えた。

自然現象を取り入れた作品で、何を語りたかったのだろうか。綺麗で楽しくはあったけどチームラボ的なあざとさも感じた。

 

2003年にテート・モダンで「Weather Project」を制作した際に、オラファーが作品に自然を引用する理由について述べた文章を引用したい。

「私にとっての動機は、制度的な施設と社会の関係なのだ。

作品は根本的に人々についての、彼ら彼女らが交換し、あらゆる段階において連鎖的に拡散して行く情報についてのものであり、

すなわち人間による核反応とでもいったものが行われているのである。」

f:id:wk_eng3:20200809022747j:image《Weather Project》

 

上記にあるような「鑑賞者が交換し、連鎖的に拡散していく」体験は、本展では十分に成し得ない。

もしかしたら新型コロナウイルスで展示を見送っている期間に、人が過度に集まることを避ける目的でこのようなキュレーションになったのかも。

オラファーが最近のインタビューで、パンデミックに対応した作品を作る必要性を述べていた。

そういう意味で今回の展示は、オラファーの作品が転換する狭間に位置付けされる可能性があり、重要な意味を持つかもしれない。

 

・古典×現代ー時代を超える日本のアート@国立新美術館

なんとなくオラファー展の不完全燃焼を抱えてこちらに…。

日本の芸術家を古典と現代からそれぞれ5人ずつ選出し、ペアごとに展示している。

各ペアによって、自然と共通項を見出せるものもあれば、こじつけを若干感じるものもあって、振り幅はある。

日本の土着的な自然信仰が、古典の芸術家からも現代の芸術家からも伺えた。

オラファーが自然に対して曖昧な形でしか回答できなかったのに対し(作品というよりキュレーションの問題な気もする)

こちらの作家の多くは、日本らしい自然信仰・賛美・畏怖を作品に落とし込んでいたのが印象的。

特に円空と棚田康司の、自然木の特性を活かした一本造の彫刻がよかったです。

夏目漱石の『夢十夜』の第六夜、運慶の話を思い出した。第六夜とても好き。

「運慶は木に埋まっている仁王像を取り出しているだけなのだ」

f:id:wk_eng3:20200809025935j:image円空の彫像

 

 

他に行った展覧会についてはまた後日書く予定です。