日々の雑感を書き留めるというのは後回しになりがちである。。
去年まで3年間くらい継続して毎日1行日記を書いていたが今年からはもうしていない。
何もしない日を愛しているのに、日記に「何もしなかった」と書くと
心苦しくなってしまって、ついつい先回りして予定を沢山入れてしまう。
毎日日記をやめてから、思い出への物忘れは酷くなったが、時間の流れがゆっくりになった気がする。
いつ何をしたかを忘れるのもそこそこ勿体ないことだけど、
何に、どうして感動したか、を忘れるのがすごく勿体ない気がして、
あまり深く考え込まずに、連想ゲーム方式で思いついた最近のことを書き残そうと思う。
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11月は2度目の中国に行った。
相変わらず変な国だった。
都市景観の整備や観光のしやすさはイメージよりも進んでいる。
公共機関の電子化なんかは日本よりもされている。
けど、生活水準のばらつきがすごい。
お手洗いとか、そこそこ綺麗なのが無いんだなあ。
すごく綺麗かすごく汚いか。
新しいものを先進的に、近未来的につくる努力はすごく感じるが、
マイナスなものをプラスまたはアベレージにする、みたいなのが無い。
料理がとても美味しい。中華料理のバリエーションの多さには驚く。
歴史も人口も桁違いであることを毎度感じる。
海外旅行は刺激的で楽しいけど疲れる。
最近の気持ちとしては国内旅行がしたい。
11月に行った軽井沢、諏訪、小淵沢の旅行がすごく良かった。
中部地方の空気感がすごく自分にあったものだと感じる。
東京からも近いし、いつか移住したいなあと思っている、けど、
東京の寒さにも耐えられないのに、長野の冬で生活出来る自信が無くなってきた。
一ヶ月前の軽井沢は紅葉が綺麗だったのに、まだ東京は十分に紅葉していない気がする。
それだけで軽井沢の寒さに説得力を感じる。
大好きなドラマ、『カルテット』の舞台が軽井沢なので軽く聖地巡礼をしてきた。
この写真の場所は、カルテットのメンバーが定期的に演奏していたノクターンのロケ地。
実際は燻製工房。
お店のお姉さんが台本を全話分見せてくれたので読んできた。
台本のト書きとか読むと、坂元裕二が身近に感じられて感動した。
坂元裕二が2020年公開の映画の脚本を書いたらしい。
うわーーそんな素敵なことがあるのか!! 公開まであと一年、待ち遠し過ぎる。
12ヵ月は待つには長すぎだけど、季節毎に指折り数えていたら片手で足りる。
坂元裕二フリークとしてはたまらないキャスティングである。
嬉しすぎて勢いでエキストラに応募してしまった。こんなの初めて。
全信頼を寄せて絶対感動するのは間違いない。
まだなんの情報も出てないのに、挨拶文だけで泣いてしまった。
菅田将暉が彼女を評してる、「馴染みやすさと柔らかさとクレバーな幹の太さ」という言葉のまんまだと思う。
良い言葉で表現するなあ…。
坂元裕二脚本有村架純主演の『いつかこの恋を思いだしてきっと泣いてしまう』は普及の名作である。
好きなドラマについて、時間を取って好きなところをひとつひとつ書きたいな。
好きなシーンのひとつ。
音「出て、右行って、左。」
練「近道?」
音「ううん。遠回り。」
朝ドラも今のところ、彼女が主演の『ひよっこ』が一番好きだ。
2020年後期の朝ドラは主演が杉咲花ちゃんらしいので相当楽しみ。
前から好きだったけど『いだてん』で大ファンになりました。
今年の大河『いだてん』が本当に面白くて素晴らしいのです。
毎週しびれている。前半の杉咲花と柄本佑のパートは号泣ものでした。
第二次世界大戦以降の時間にある最近は、政治的で現実的で重いけど、
松坂桃李が好きなので、松坂桃李を観るだけで気持ちが明るくなります。
イケメンなのに、いつもくしゃみする3秒前みたいな表情をしているところが好き。
星野源も好きなので活躍っぷりが嬉しいです。
星野源の『same thing』という最新アルバムがお気に入りです。
それまでの作品はほぼ全て彼の作詞作曲編曲(これがすごい)だったけれど、
今作から共作を始めたそう。
海外のアーティストとの共作もあるから、結構今までの星野源とはがらっと変わり、
YouTubeのコメント等を見ると「変わって寂しい」などのコメントが多々あるが、その変化が良い。
星野源のラジオとか文責とかを追っていると、彼自身の人格に相当変化が感じられるので、曲が変わるのもまあまあ当たり前である。
サブカルこじらせ男的な立ち位置から、今となれば日本を代表するポップスターである。
最近のシングルはほとんどがタイアップ曲であり、広告的に受けるものを多く作る彼だが、
依然として彼の偏屈そうな部分は失われていないのも良い。
「アイディア」なんかは、テレビで流れる1番はポップでキャッチーなのに、2番でサウンドが大きく変わり、
歌詞もど暗くなるのが良い。
レーベルや事務所に、イメージを固定され、狙った通りに大衆に消費されゆくオリコンチャート常連のアーティストも沢山いるなかで、
1人のアーティストとしてレコード会社やメディアに利用されていないところが凄い。
変わらない、より、変わるの方がよっぽど自然で、人間らしくて好きです。
あまり世間に知られてないころの星野源は「人見知り」代表人間みたいな感じで、
世の中の声が小さい人の味方みたいな感じで、それはそれでとても好きで、そんな星野源の書く曲にも感動していました。
今は、「人見知りだと自分を語ることは相手に気を使わせることだと感じ辞めた」と言っている。
年齢の変化か立場の変化かわからないが、そういう思想の変化を発信できる勇気や誠実さが素敵だ。
「人見知り」を語り続けていれば、今までのように同じ層の人に曲がウケ続けていたであろうに、
過去の自分を極度に否定することもなく、軽やかに変わっていく。
脱人見知りとして思い浮かぶのがオードリー若林である。
「たりない2人」として山里亮太と一緒に、はぐれもの漫才をしていたのに、
ラジオを聴いていても、テレビを見ていても、若林はちゃんとメディアの意図を汲むコメディアンになっている。
しかし、先週の『日向坂で会いましょう』で、スタジオ入りは相変わらず暗いと指摘されたところで嬉しくなりました。
変わることも大歓迎だが、人間性のどうしても変わらない部分というのは何よりも愛おしい。
そんな若林さんの結婚には、リトルトゥースの端くれとして心を撃ち抜かれました。
絶対昔の若林だったら、良い夫婦の日に結婚なんてしなかっただろうな。
しっかり照れるおじさんになっててそれも好きだと思いました。
芸能人の結婚として最近印象的だったのが、壇蜜と清野とおる氏の結婚です。
壇蜜が、北区にただならぬ執着心を持つスーパーB級漫画家と結婚するなんて、
これ以上えっちなことは無いと思った。
2人の結婚よりも、2人の結婚を受けての霜降り明星ANN0での、せいやの言葉が良かったなあ。
せいやと壇蜜は、知り合いでも無いのに、偶々深夜に道で初めて出会して、道端にいた酔っ払いの人を一緒に介抱したというエピソードが有名なんですが、
その一回きりの奇跡みたいな出来事だけで繋がった女性に対して、
「正直、壇蜜さんにとって僕は特別な存在やと思ってたし、壇蜜さんは僕の中で特別な存在でした。」
という言葉を述べるのが、美しいなと思いました。
半分冗談で半分本気だと思うんだけど、一回しか会っていない、そしてその一回が奇跡のような体験だったというだけで、何の根拠もなく「相手にとって自分は特別な存在だと思っていた」と言うのが素敵。
綺麗すぎる完結した関係の仲だからこそ、自分の希望的観測を揺るぎないものとして確信できる、
そういう自惚れは、今後の人生を送る上で、小さな自信とか誇りとかになるんじゃないかな。
イモトと石崎Dのバンジーも良かったです。
バンジー飛んだ瞬間の溢れ出る多幸感に対して、受け答えするイモトは、しっかり照れて、ボケることで隠しているのが胸をうちました。
いわゆるすごくテレビっぽい演出のなかに、照れとか恥ずかしさとか見つけた瞬間がすごく好きなのです。
学業やタスクに追われている時は、それ以外の時間がエンタメに消費されるので、
テレビやラジオの感想ばっかりになってしまいましたがこの辺で終わります。