半期見ていた朝の連続テレビ小説「なつぞら」がつい先日終わったので感想を書きます。
細かい演出や作りには少し引っかかる部分もあったのですが、根本にある軸は最後まで通っていて総合的に見て良いドラマだったと個人的には感じました。
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あらすじの色々は端折って、一番良いなと、物語の真髄に触れていると思ったのは、吉沢亮演じる天陽くんが亡くなってしまう週です。
天陽くんが亡くなり北海道に帰省するなつが、天陽くんのアトリエで彼の作品と対面し会話するシーン。
それと並行して、天陽くんの奥さんが、天陽くんの畑に顔を擦り付けるシーン。
天陽くんの魂が「ここにいる」と感じる場所が人によって違うこと、アニミズム信仰と通じていて、素直で美しいと感じました。
死後の魂の所在って難しい話だけど、そんなに気張ったことではなく、死者との思い出の場所や、死者の残したものに触れることが、魂と会合することだと、「なつぞら」はすとん、と伝えてくれました。
思い出の品や場所が、特定の人を想起させるなんて、日常生活においてありふれた話だけど、こういうかたちで応用され、大切なひとの死において語られると、救いがある。
死後に限った話ではなく、自らの魂の居場所というテーマは半年通して低音で奏でられていたような気がします。
脚本家の大森寿美男さんが、このドラマを「ホームドラマ」と言っているように、戦争孤児である主人公なつは、自らの半生のなかで、様々なかたちの家族の一員として成長していきました。
それぞれの家族が、血の繋がりに留まらず、愛情や思い出、役割を持ってして、なつと関係を築いていく過程を見せることで、自分の魂の居場所をそれぞれの場所に作っていくポジティブなイメージを伝えることが、ドラマの根幹にあるメッセージなんだと思いました。
魂の所在、という話で、少し話はそれますが、
天陽くんのモデルとなった北海道の画家、“神田日勝”さんの絵が素晴らしいと感じました。
神田日勝は農業と兼業しながら創作活動を行い32歳の若さで亡くなった画家さんです。
《絶筆》1970年
絶筆、ということで、完成とはならなかった彼の遺作です。
半身のみの馬の絵ですが、上半身に重心が置かれた馬はこれで一つの完成された生命体が持つたくましさを感じさせます。
作品としては未完成とされていても、この状態で馬のアニマは充分に描かれている。
神田日勝の被写体への真剣で愛情のある眼差しがわかりました。こういう観察眼と探究心に画家の狂気がある。
なつぞらのメインストーリーであるアニメ製作でも、アニメーターの仕事が「アニマを吹き込むことにある。」と作中で語られていることもあり、ドラマのフィクションとドラマ背景にあるリアルが交わって、面白く、新鮮な説得力がありました。
半年も続いたドラマの感想をまとめるのは難しかったです…。。
なによりも、草刈正雄がかっこよかったな〜。