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南三陸と広島の伝承館を訪れて

去年10月に宮城県南三陸町を、3月に広島市を訪れた。

三陸を訪問したのは、10月に新たな震災伝承施設「南三陸311メモリアル」が開館したから。そして広島は、「広島平和記念資料館」が2019年に展示をリニューアルしたと聞いてずっと来館したかったからだ。

被害を伝承する役割を持つ新旧2つの施設が、どのような語り口で後世に継いでいくのか。実際に訪れて感じたことを、ざっくばらんに書いていく。

  1. いかにして被害を語り継ぐか
  2. 「正確さ」から逸脱した取り組み
  3. メモリアルの邦訳はなにがふさわしいか

 

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1. いかにして被害を語り継ぐか

三陸311メモリアルのスタッフに話を伺ったところ、周辺の被害の殆どは津波によるものであり、物品が残りづらく、「モノ」による継承が難しいのだという。

確かに311メモリアルの展示構成は、被災者の証言や当時の新聞といったドキュメントベースのものがほとんどである。

一方、広島平和記念資料館の今回のリニューアルについて注目してみると、被爆者の姿態を模した蝋人形が撤廃された点が一番の変化ではないだろうか。修学旅行で資料館に訪れた際に、この蝋人形に大きな衝撃を受けた学生は多くいるだろう。私もその一人。ただ、この人形はインパクトこそあるものの被害の正確な再現や伝承として、批判が寄せられるのもまた頷ける。

 

※これについては

小田原のどかさん(彫刻家・美術史研究家)が資料館リニューアルに寄せた文章が詳細に述べています。

https://bijutsutecho.com/magazine/insight/20226

 

 

小田原さんの評にある『あらゆる意味で「つくりもの/つくられた原爆のイメージ」やそれらの「再現」と手を切ったのだ。』という1文はまさに、今回のリニューアルを的確にまとめたものだろう。実際に私が訪れて感じたのは、遺品とそれに付随するエピソードを並べた展示の多さだった。再現と手を切り、「実物」と「実話」によるリアルな被害の継承に舵をきったことが見て取れる。

 

このように南三陸と広島の展示からは、ノンフィクションによる継承という共通点が見て取れる。南三陸では「モノ」が残らない災害を、語りや文筆で後世に継ぎ、広島では「モノ」と語りで継いでいる。

ただ、ノンフィクション/本物/真実/本人/実体験…といった正確なものだけでの継承には、ある程度の限界があるだろう。例えば、モノが残らない場合もあるし、語り部の高齢化は避けられないことだし、人の記憶は変わっていくものだし、そもそも語りを強要することはある種の暴力に当たる場合だってある。

この問題意識を念頭に、南三陸と広島で観た興味深い展示を2点、次節で紹介する。

 

②「正確さ」から逸脱した取り組み

1点目が南三陸311メモリアルに寄せられた美術作品《MEMORIAL》。

この作品はフランスの現代美術家クリスチャン・ボルタンスキーが、東日本大震災後に被災地に来日した経験をもとに、施設のために制作したものである。1000個強の錆びれたビスケット缶を重ねて塔にし、上から豆電球で照らしている。遠くからみたら缶の集合体であるが、その錆びの風合いは1つ1つ異なり、その差異は意図して付与されたのだという。施設スタッフは、遺品が残らない津波被害において、被害者1人1人の物量感をこの作品が補填していると解説していた。缶は災害を直接物語る「実物」ではなくても、ドキュメント展示が大半なこの施設において、被害にあったのは個々人であるという視覚化の役割を担っている。

(この文脈をこの短文で説明するのはかなり無理やりな自覚はあるが、ボルタンスキー研究から読み解くと上記の解釈ができる)

 

2点目が、東京大学在学中の庭田杏樹さんが広島で取り組んでいるプロジェクト「記憶の解凍」

このプロジェクトは端的に言えば、戦前・戦争のモノクロ写真をフルカラーに補正するものだ。ただ、このカラー化において第一義となるのはその色の正確な再現性ではなく、写真の主との会話で引き出された本人の記憶による着色である。

例えばリンク先の例にあるように、花畑が映る写真をAIがシロツメクサと判断し白く塗っても、その記憶の主がタンポポだったと想起し黄色く塗り替えているという。

庭田さんと指導教員の渡邉英徳教授のインタビュー記事

https://hillslife.jp/learning/2020/08/14/rebooting-memories/#galleryimage_50569-949_2

 

 

リンク内で、渡邉教授は、AIよりも対話や記憶を優先するこの活動について「ビジュアライゼーション」から「ストーリーテリング」への変化が見て取れるとしている。

ストーリーテリングとするならば、これは介入や編集を許す「伝承」に近い取り組みだろう。

実際渡邉教授は、エビデンスをもとに編まれた歴史に対して、多様な人々、多様な場によって紡がれていく「開かれた」歴史として「パブリック・ヒストリー」を挙げ、記憶の解凍プロジェクトを後者に当てはまるものと述べている。

 

今あげた南三陸と広島の2つの例は、かたやインスタレーション作品、かたや写真という手段で、正確さから逸脱していても個々人の存在や記憶を掬い上げている。

そもそも絵画の始まりについては、戦地に赴く恋人の影を地面に写し取ったという神話に遡るという。(古代ローマの大プリニウスが著した『博物誌』にそう記されている)本物とは程遠い「影」であっても、恋人がここにいた痕跡を残しておきたいという思いこそが芸術の根源にあるのだ。

当事者の痛みが理解できるなんて口が裂けても言えないような被害において、他者が関われる方法はなんだろうか。芸術や写真といった、正確さを担保しないものだからこそ出来る継承には、開かれた可能性と議論の余地がまだまだあるはずだ。

 

③メモリアルの邦訳はなにがふさわしいか

話は少し逸れるが、311メモリアルに訪れたとき「メモリアル」という言葉の意味について気になった。この施設だけでなく、国内・海外に留まらず「メモリアル」という言葉を冠する施設は意外と多いように感じる。有名なものだと、ニューヨーク同時多発テロが起きたWTCの跡地にできた「911Memorial」だろうか。

「Memorial」は直訳で、名詞としては「記念」「記念碑」「記念館」「記念行事」を意味し、形容詞としては「記念の」「追悼の」という意味を持つらしい。(Weblioでの簡単な検索)

しかしここで新たな疑問が生じる。同じく「記念碑」を意味する「Monument」とどう使い分けるのだろうか、そして日本でよく見る「祈念」の英訳としても使えるのだろうか???

「祈念」には「神仏に願いがかなうように祈ること(デジタル大辞泉)」や「強く念じ祈ること(実用日本語表現辞典)」という意味があるらしいが、前者と後者には宗教的な意味合いが含まれるかどうかで大きく異なる。前者を英訳するなら「pray」だろう。あれ?でも「念じる」も「pray」か?ちょっとこの論争は底なし沼な気がしてきたから一旦置いておく。

とにかく、施設に冠する「Memorial」について深掘りするべく、表を作ってみた。

drive.google.com

表は、東日本大震災関連施設を主に、伝承施設の名称とその英訳、施設の目的をまとめたもの。

日本語と英語を見比べてみると、「メモリアル」という語には「伝承」「復興」「祈念」など、多岐にわたる意味が託されてると分かった。

ただ、東日本大震災以外の施設では、「メモリアル」を冠するものは意外と少なく、あってもかなり新しめの施設であることも判明。例えば、ニューヨークにある同時多発テロの伝承・追悼施設「National September 11 Memorial & Museum」は2011年開館。戦争に関連する施設では見受けられなかったのも印象的だ。

話を戻して、東日本大震災関連施設の表を見てみると、「memorial」の一般的な訳語である「記念」を名に冠した施設がほとんど無く、震災施設にみられる「キネン」は、ほぼ全てが「祈念」の表記だった。

、、、現在私はこの表を作った時点で満足して(疲れて)しまって、これ以上の考察には及んでいない。だけど、復興・継承のシンボルとなるような施設に授けた言葉には、関わった人々の大事な想いが託されているのは間違いない。この言葉たちの間に存在する空隙を読み解くことを私的な課題としたい。